カシラダカで思う「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
鼻っ柱の強い若造の頃に「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と教え諭されたものだ。稲の穂は実が入ると重くなって垂れ下がってくるのと同じで、学や徳を積むと人間だんだん謙虚になるものだ、ということだ。謙虚になると多くの人から知恵を授けられ、さらに学や徳が深まっていく。
偉くなったり有名になったりすると、周りの人がお世辞ばかり言って、なかなか本当のことを言ってくれなくなるものだ。だから謙虚に人と接しないと、自分の悪いところや真に良いところも分からずじまいということになる。
なんでこんな話になるかというと、今日はカシラダカ(頭高)の群れに出会ったからだ。カシラダカはその名の通り、頭の羽(冠羽)が立っていて威厳があるように見える。人間だと内面の話ではなく、外向きの肩書のように、前述の偉いとか有名といったところかもしれない。お正月くらいは煩悩まみれの自分の姿に気づいて頭を垂れないといけないな、と思ったしだいである。
頭の毛が立っていて他の鳥に比べるとある種の威厳を感じるけど、リーゼントカットだと思うとチャラい?とも思える。
カシラダカと一緒にいたアオジを見ていると、坊主頭に見えてくるから不思議だ。