ほのぼのとしたカワセミの子供たち
カワセミの子供たちはまだ自分で魚が獲れないようだ。たまに池に飛び込むと小さな木の枝や葉っぱをつかんで飛び出してくる。2羽の子供が枝にとまって、同時に上を向いたと思ったら、蝶々が優雅に飛んでいた。暑いさなかで藪の日陰に潜んで、親が魚を運んで来るまでじっと待っている子供もいる。
猫が可愛く見えるのは、アニメの人物と同じで、顔に比べて目が大きいということらしい。カワセミの場合は目というよりは、そのほのぼのとした表情に癒されるのかもしれない。カワセミの成鳥は、新幹線の流線形の原型になったともいわれる鋭く長い嘴で、恐竜の子孫(そのもの?)を連想させる。そのため、口ばしの短いカワセミの子供は相対的に可愛く見えるのかもしれない。なんてことを思いながら、暑い外には出たくない梅雨明けの土曜日を過ごしている。
成鳥と比べて鋭さがないので、相対的にほのぼのとして表情に見えるのか。
日陰に潜んでじっと親が魚を持って来るのを待っている。
やはり口ばしの長さがほのぼのさに影響している?
カワセミの2番子たちが登場!!
5月27日に2年ぶりに登場したカワセミの子供たちを投稿した。あれから約50日で近所の池に2番子が登場した。前回は自分で魚を獲れる子もいて、数日滞在していなくなってしまったけど、今回は魚を獲れる子がおらず、もっぱら餌の魚は親頼みのようだ。
それにしても暑い。今日の気温は体温に近い。カワセミの子供たちも暑いらしく、藪の中の日陰にこもってなかなか姿を現わさない。それでも親が魚を持ってくると、子供たちが集まってくる。子供たちは5羽いるそうだけど、まだ一緒にいるところは4羽までしか確認できていない。親が魚を運んで来ると、最初は口をあけて魚を欲しがるけど、順番に給餌していることが分かって、給餌される子以外はだんだんと離れていく。魚をもらってお腹がいっぱいの子は我関せずの状態だ。その様子が面白い。
この暑さでなかなか観察するのは大変だけど、親離れするまでちょっと楽しめそうだ。
自分にくれないと分かると口をとじる。一番右にいる子はお腹がいっぱいなのか、我関せず。
なかなか魚をくれないが、その間に他の2羽の子が離れていく。
ようやく魚をもらって満足そう。さあどうやって食べるかな。
それにしても、子供たちのお腹はまだまだ黒ずんでいる。少しオレンジ色になったら親離れといったところかな。
親の心 子知らず ツバメの場合
40年前のことだけど、仕事帰りに「鳥の巣」という名の飲み屋によく通っていた。野鳥趣味では、鳥の巣に近づくと鳥が警戒してストレスになると、日本野鳥の会の人から聞いていたので、私の掟として巣には近づかないことにしている。そのため、親が子に給餌する姿を撮る機会がほとんどなかった。
だからといって、いつも親が餌を与えるわけではなく、自分で獲りなさいと言わんばかりに、近くを通りすぎるだけのことも多い。早く巣立って欲しいということだと思うけど、子の餌のねだり方が凄まじい。親の心子知らずとはいうが、巣の中から生存競争している野鳥ならではの姿かもしれない。
ちなみに、鳥の巣という飲み屋はまだ健在のようだ。久しぶりにこっちの巣には行ってみるかな。
大きな口をあけて凄まじいねだり方だ。
若いツバメが登場!
こんなタイトルだと野鳥じゃない世界では誤解されてしまいそうだ。ネットの辞書によると、若いツバメとは、「年上の女性の愛人になっている若い男。語源は奥村博史(1889-1964)が平塚らいてう(1886-1971)に送った手紙の中で、年下の自分自身を『若い燕』と書いたところから、こう呼ばれるようになった」ということだそうだ。
平塚らいてう(雷鳥)といえば、大正から昭和にかけて女性の地位向上に尽力した人として知られている。国会議員だった市川房枝とは同世代の知己の仲だ。昨今、国や地方の議員や会社の管理職の割合などで女性の地位をとらえるのも何か変だと思うが、世界の状況と比較するにはとても分かりやすい指標かもしれない。事実、行政に関する国際会議をやると、海外の公務員や団体の大事な役割をたくさんの女性が担っているのが分かる。もちろん、その仕事ぶりを知るたびに、たんに女性の割合が高いというだけではないことも分かる。
ところで、雷鳥というのは平塚のペンネームだけど、奥村が平塚のもとを去ったときに「燕」と書いたのは、奥村も平塚も野鳥に興味があったことを思わせる。実際、奥村も平塚も「野鳥」という名を造った中西悟堂(1895-1984)と知り合いだったという。金沢市の兼六園の隣にある広坂公園に中西悟堂の読んだ歌の碑がある。
「るりびたき鳴くはいまつのかさなりの しげみもくらし日もさし入らず」