姿も声も美しいキビタキは夏の風物詩だな
今年は珍しく裏山にキビタキがやってきた。先週のことだ。ウグイスと鳴き争うように、広場の周りの樹々の中から美しい声を響かせていた。この囀りを聞くと夏がやって来たと感じる。いつもより暑い日が続いていたけど、まさに夏の風物詩がやってきた。ところが数日前からピタッと鳴き声がしなくなった。
今朝裏山に行くと、ウグイス、メジロ、シジュウカラ、ヤマガラのいつもの野鳥は出てきたけど、キビタキの姿が見えない。ところが、頭上で陰が動いたと思って双眼鏡でみるとキビタキのメスがいた。オスの姿は見えないけどメスがいる。きっとカップルが成立して囀りをやめたのかもしれない。と思うと、次は子供の誕生なんだけど、それはGW後の楽しみにとっておこう。
これはまだ鳴いていたキビタキの写真だ。なかなか明るいところに出て来ないので、皆同じ場所で撮影した写真になってしまった。でも、さすがに英語の語源がナルシストだけあって声も姿も美しく、いろんな表情で可愛い。
GWはオオルリで楽しめそうだけど、首が大丈夫か
今年も隣町の森にオオルリが来てくれた。1週間くらい前からいるそうだ。なかなか機会がなくて行けなかったけど、日曜日ということで午後から出かけると、大きな鳴き声で迎えてくれた。オスの近くにメスもいた。ただ、いつものように高い木の上で鳴いているので、見つけるために上ばかり向いていると首が痛くなる。
清流の流れる水場があり、たまに水浴びをするそうだけど、残念ながらお目にかかれなかった。GWはまだ1週間先のことだけど、大きな鳴き声が続いてくれれば、かなり楽しめそうだ。できれば水浴びで下りてくるところを狙いたいものだ。
お気に入りの折れた枝にとまって大きな声で鳴いている。
その近くでメスもいた。
光線の具合でオオルリの色が変わる。
これは色のないシルエットのオオルリ。これもなかなかいいな。
オナガの姿は美しいけど、その鳴き声は・・・
朝からイソヒヨドリが美しい声で鳴いていた。探すと隣の家の屋根にあるテレビアンテナにとまっている。携帯電話の大きなアンテナにもよくとまっているので、見晴らしのいい場所が好きなのだろう。イソヒヨドリはヒヨドリの仲間ではなくて、ヒタキの仲間である。だから声が美しいのかもしれない。
夕刻、群れのリーダーと思わしきオナガが高い木の上で鳴いていた。青灰色と白色の体に黒いマスクを頭にかぶっていて、尾が長く羽を広げて飛ぶ姿はほんとにカッコいい。でも鳴き声は「ギューイギューイギュイギュイ」と、さすがカラスの仲間と思わせる鳴き声である。「天は二物を与えず」か。とはいえ、写真の場合は姿だけで声は聞こえないので、カッコいい姿だけを楽しめる。
高い木の上で鳴いている。群れのリーダーなのか、見張り役なのか。
テレビアンテナの上で鳴いているイソヒヨドリ。
羽は広げていないけど、カッコいいには違いない。
近くで撮ると尾が長くて全身を入れるのが大変だ。
オナガは「いただきます」と思ってアオムシを食べる
この時期になるとオナガが群れで裏山にやってくる。若芽の芽吹いた大きな木にとまり、枝から枝に飛びながら若芽めがけて口ばしをのばす。最初は若芽を食べているのかと思ったけど、よく見ると小さなアオムシを食べている。アオムシが若芽を食べ、そのアオムシをオナガが食べる。大切な自然界の食物連鎖だ。
人はご飯を食べるときに「いただきます」と言う。肉でも魚でも野菜でも、あなたの命をいただきますという意味だ。大切なあなたの命を自分の命に代えさせてもらうという感謝の気持ちである。さすがにオナガやアオムシは「いただきます」とは言わないけど、きっと自然の生態に感謝していると思う。
司馬遼太郎の「21世紀に生きる君たちへ」の一節に「・・・自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている・・・」と。また、ネイティブ・アメリカンの名言に「草木は兄弟であり姉妹だ」と。つまり、人間は自然の一部だし決して奢ってはいけないということだ。「いただきます」という言葉のない多くの国の人びとに、このことを理解してもらえればと思う。
小さなアオムシを捕まえた。
大きな幹にとまっていたと思ったら、
急に飛び上がって
これまたアオムシを捕まえた。