野鳥撮影も桃栗3年柿8年ですが・・・
新参者のカワセミが逆光でホバリング-アニメーション
今日も朝から快晴。久しぶりに近所の池にでかけた。古参のオスとメスのカワセミの他に、新参者のカワセミがいた。古参に見つかると追いかけられて逃げるのであるが、また戻ってきては銀杏や桜の木にとまって魚獲りをする。とはいえ、魚がいないのか、魚獲りが下手なのか、うまく行かないことが多い。
杉の木から飛び込んだと思ったら、目の前でホバリングを始めた。1年くらいカワセミのホバリングにご無沙汰というか、うまく撮れていなかったが、今日はさすがに目の前だったのでちゃんとピントもあってうまく撮れた。逆光だったので、羽が陽で輝いていて美しい。せっかくなのでアニメーションにしてみた。
杉の木からホバリングをして狙ったが、途中で気が変わってあきらめた。
次は桜の木にとまって魚を狙っていたけど・・・
またまた失敗のようだった。
幸せの青い鳥と幸せの「はひふへほ」
「鎌倉殿の13人」最後は穏やかな陽の光の中で
ルリビタキくんのご愛嬌ーアニメーション
ルリビタキのオスの若鳥は、メスに気に入ってもらう必要がないから、地味な出で立ちなのか
先日のルリビタキのオスの成鳥がいる場所のそばにオスの若鳥(オス若と呼ぶ)もいる。オス若は、一見するとメスに似ていてその違いが分かりにくい。メスもオス若も全体がオリーブ褐色だし、尾は青く、白いアイリングがある。
違いは何かというと、成鳥ほどではないが、オス若は脇の山吹色がハッキリしている。それに比べるとメスの脇は淡い橙色だ。それとうがった見方ではあるが、メスのあどけない顔がなんとなくオス若よりも可愛く見えてしまう。
上の場所と少し離れている場所ではあるが、橙色が濃いので当初はオス若だと思っていたが、目が口ばしよりも上にあるのでメスではないか。
2番目の写真と同じ個体。この角度から見ても、目が口ばしよりも上にあるのでメスだと思う。オス若と同じく青いというか瑠璃色の尾。尾は成鳥と同じだ。
「ラッキー!」が倍になったルリビタキ
近所の池を訪れる人の多くは、カワセミを見つけると「ラッキー!」と喜ぶ。メーテルリンクの青い鳥は鳩のようだけど、私にとって身近な青い鳥はやっぱりカワセミだ。でも、毎日のように見ているとその感覚がだんだんと薄れてしまう。それにひきかえ夏鳥のオオルリや冬鳥のルリビタキを見ると、思わず「ラッキー!」と叫んでしまう。
今日は天気もいいし、ちょっと足を伸ばしてラッキーなルリビタキを撮りに行った。今季初めてだ。午前中に何回か人前に出てきたのであるが、二つの個体のような気がする。ひとつの個体は今年の年賀状で使った昨年撮影したルリビタキにそっくりでまるぽちゃで可愛い。もうひとつの個体は普通だけど、まるぽちゃに比べるとスリムに見える。
とにかく、今年の冬は倍のラッキーで楽しめそうだ。
これが2022年1月の年賀状に使ったルリビタキ。同じ場所である。
まるぽちゃに比べるとスリムに見えるルリビタキのもう一つの個体。
ウグイスの地鳴きとさえずりの顔を比べると
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鎌倉を去ることになった時政が、外でチャッチャッと鳴く鳥の声を聞きながら息子の義時にこう説いた。
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そこで興味を持ったのが、地鳴きとさえずりでウグイスの顔が違うのか、ということだ。今日は裏山の水場でウグイスが地鳴きをしながら水浴びに来た。同じ個体のウグイスでないと比較はできないが、まあそれはおいといて、地鳴きとさえずりの2枚の写真を見比べてみた。
オスのさえずりは求愛と縄張りの主張、つまりメスを誘惑したり他のオスをけん制したりするためだ。時政がりくの前で調子のいいことばかり言っているときの顔で、相手の顔色を伺いながらの顔だ。それに比べて地鳴きは「私はここにいるぞ」とメッセージを発しているので、普段の自分の本来の顔だろう。時政であれば仏頂面でわがままな顔になるかもしれない。
そんなことを考えながら、下の写真で地鳴きをしているウグイスの顔をみていると、何かとても素直な顔に見えてくる。ちょっと臆病で小心者のような気もする。それに比べて、さえずるウグイスは胸を張って堂々とした顔に見えてくる。普段は小心者でもいざとなると大胆な行動ができるのか。いやいやきっと無理して大物に見える演技をしているのかもしれない。
てなことを考えるのも、週末の楽しみだ。

「チャッチャチャチャ」と地鳴きをしながら水浴びに来たウグイス。
「ホーホケキョ」と大きな鳴き声で高らかにさえずるウグイス。今年の5月の写真。
絵画のような晩秋のカワセミだけど・・・
近所の池では黄色や赤色の枯葉が美しい。紅葉や黄葉真っ盛りの時期はもちろん素晴らしいけど、この晩秋の時期もとても好きだ。カワセミの背景が、赤や黄や緑のカラフルでいて、それぞれが出しゃばらない淡い色の絵具で塗ったようになるからだ。なぜ絵具のようになるかというと、それはレンズの2線ボケの効果が大きいと思う。
2線ボケとは写真に写った1本の線がぼけて2本に見えるボケのことである。特に超望遠で絞り開放で撮ると、色の収差の影響で背景にある木の枝が2線ボケになってしまう。写真によってはゴチャゴチャして好ましくない絵作りになってしまうけど、この時期のカラフルな背景を作るにはちょうどいいと思う。特に、曇りの日はコントラストが弱いので、淡い色がいっそう薄い絵具のようになって、出来上がりが絵画風になるのだ。
ゴッホの絵のように(といったら大変失礼だけど)背景が揺れて見える。黄色は銀杏の落葉、赤は枝についているモミジの枯葉、緑は常緑樹の葉である。
モミジを前景にすると、こんな感じになる。ちょっと2線ボケが強すぎるかもしれない。
このくらいがちょうどいいかな。
背景に線がないと、全くのフラットであるが、これもなかなかいい。
俳句から思う「もみカワ」の謎
先日、藤沢市のある生涯学習コミュニティで野鳥撮影の趣味話をさせて頂いた。身近な野鳥の写真を紹介しながら野鳥観察の楽しさを語るのだけど、花と野鳥を組み合わせた写真がやたらに多くなってしまった。カワセミで言えば、この季節は「もみカワ(=モミジ+カワセミ)」になる。春は桜カワセミ、夏は蓮カワ(蓮の花とカワセミ)だけど、どうしてカワセミと花や紅葉を組合せて撮りたくなるのだろう。
俳句は人や生活や動物や自然などの世の中の有様を季語とともに575という言葉のルールで表現するし、写真は同じく世の中の有様を小さな四角形の中で表現する。上手な俳句を詠むと、そのときの情景を思い浮かべて楽しむことができ、しだいに余韻を残しながらその情景が薄れてゆく。写真は具体的な情景そのものだけど、そんな余韻を残せたらいいな、と思っている。
晩秋のカワセミの水浴び。陽の傾いた静かな池で、パシャっとカワセミの飛び込む音が聞こえた・・・なんて写真になるといいな。
これは椿とカワセミだけど、単に組み合わせただけで余韻を感じることはないかも。