もう一つの桜カワセミ:夕刻のカワセミ給餌(アニメーション)
今季初の「桜カワセミ」
ヤマガラがかわいく見えるのはなぜ?ーチコちゃんからの考察
久しぶりのヤマガラの写真であるが、結構かわいいヤマガラになったと思う。なぜかわいく見えるのか?なんて疑問を持つのは「チコちゃんに叱られる」の観すぎであるが、そのチコちゃんで「猫がかわいいのはなぜ?」という疑問があった。
そう考えると、このヤマガラ写真の場合、1枚目と2枚目の写真は①~④にあてはまる。④の手足というのは、尾や足が短いということにしよう。ただ、3枚目の写真は同じヤマガラでも、前2枚の写真に比べると相対的に①の頭が小さく、④の尾と足は長く感じる。③の目も顔の上の方にある。
可愛いの起源は清少納言の枕草子とされている。そのなかでは「小さきものはみなうつくし」ということで、雀の子や赤ちゃんはみんな愛らしくて可愛いということだ。ほとんどの小鳥は小さくてかわいらしいが、小鳥の仕草や鳴き声というのではなく、写真に撮ったときは、チコちゃんの回答の方がうなずける。
穏やかな 土曜の朝に 桜ウグイス
近所の桜(ジンダイアケボノ・神代曙)が満開になった。桜並木の商店街では桜祭りと称して、いろいろセールをやっている。そんな時期に鳴き始めるのがウグイスである。梅にメジロと同じく、桜にウグイスを組み合わせて撮りたいところであるが、まだ達成できていない。
今日は朝から曇りではあるが、時々陽がさして穏やかな土曜日になった。ウグイスの鳴き声に誘われて裏山の水場近くにウグイスを撮りに行った。ちょっと泣き止んだかと思うと、水場で水浴びをしている。一風呂浴びたあとはまたさえずりながら飛びまわる。なかなか明るいところに出て来ないが、美声ではあるが、地味な色のウグイスには好感を持てる。
ソメイヨシノよりも1週間くらい早く咲くジンダイアケボノ。色は薄いピンク。
裏山のウグイス。
木の上で美声を聞かせてくれる。
ときどき水場に来ては喉を潤す。上のさえずり写真とは別のウグイス。
春の光が輝き始めた
豪雨の次の日に、雨の降らない日々を思い出す
昨日の横浜は凄い雨で、裏山の小径はかなり水浸しになってしまった。池の水かさも増したようだ。今日は雲ひとつない青空に恵まれ、野鳥の日と思ってはりきってでかけたものの、肝心の鳥が出て来ない。
それまでは雨の降らない日々が続き、池の水がどんどん減ってしまった。ただ、そのおかげで野鳥がとまるにはちょうどいい大きさの数多くの石が水辺から姿を現わした。いつものヒヨドリやハトの他に、キセキレイやツグミが水を飲みに来てくれた。可愛らしい声で鳴くビンズイも数羽で水場に来てくれた。
でも、水かさが増して石がすべて隠れてしまうと、ビンズイやキセキレイの姿をみかけなくなった。それに暖かくなるにつれて、ヒレンジャクやルリビタキの姿も見なくなった。桜が艶やかに咲き始めるのとは裏腹に、野鳥の世界はちょっと寂しい毎日が続いている。
水辺に来てはじっとしていることが多い。
水浴びをして羽根を乾かすと、仲間のビンズイと一緒に飛び去ってしまった。
僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
先日、エナガが後生大事にくわえていた綿(のようなもの)を落としたシーンをみて思い出したのが、「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」というフレーズである。1977年の映画「人間の証明」に登場する西城八十の詩の一節だ。その後で「母さん、あれは好きな帽子でしたよ、僕はあのときずいぶんくやしかった」と続いていく。
映画の中では、ゆらりゆらりと麦わら帽子が谷底へと落ちていく。当時はポスターにもなり、今でも目に焼きついている。同じように、エナガのくわえていた綿もゆらりゆらりと落ちていく。そこから「エナガもきっとくやしいのだろうな」なんて、エナガに同情してしまった。
後生大事に綿をくわえている。巣を作るための材料なのか。
さて「次は何を集めてくるか」と花の散った梅の木で思案しているエナガ。