俳句から思う「もみカワ」の謎
先日、藤沢市のある生涯学習コミュニティで野鳥撮影の趣味話をさせて頂いた。身近な野鳥の写真を紹介しながら野鳥観察の楽しさを語るのだけど、花と野鳥を組み合わせた写真がやたらに多くなってしまった。カワセミで言えば、この季節は「もみカワ(=モミジ+カワセミ)」になる。春は桜カワセミ、夏は蓮カワ(蓮の花とカワセミ)だけど、どうしてカワセミと花や紅葉を組合せて撮りたくなるのだろう。
俳句は人や生活や動物や自然などの世の中の有様を季語とともに575という言葉のルールで表現するし、写真は同じく世の中の有様を小さな四角形の中で表現する。上手な俳句を詠むと、そのときの情景を思い浮かべて楽しむことができ、しだいに余韻を残しながらその情景が薄れてゆく。写真は具体的な情景そのものだけど、そんな余韻を残せたらいいな、と思っている。
晩秋のカワセミの水浴び。陽の傾いた静かな池で、パシャっとカワセミの飛び込む音が聞こえた・・・なんて写真になるといいな。
これは椿とカワセミだけど、単に組み合わせただけで余韻を感じることはないかも。
2022年師走の土曜日はカワセミの晩秋サービス
枯れた紅葉に佇むカワセミ
紅葉の乱 ホシゴイ vs. アオサギ
近所の池の周りは紅葉と黄葉で美しい。紅葉したモミジの上でホシゴイが休んでいた。そこにアオサギが飛んできてモミジの場所を寄こせと言う。大きさでかなわないホシゴイは泣く泣くその場所をアオサギに明け渡し、自分は下の方のモミジの中に移動した。その様子を見ていた別のホシゴイが飛んできて加勢しようとしたけど、さすがにアオサギの迫力に負けてしまい、我関せずになってしまった。以上、ホシゴイとアオサギの紅葉の乱でした(想像)。
こんな話がある。野鳥観察の場所が限られている自然公園が近所にある。初めて行った人が野鳥観察ののぞき窓のそばに陣取ると、そばにいたおじいさんがとことことやって来て「そこは〇〇さんの場所だからどいてくれ」と言ったそうだ。人によって定位置が決まっているそうだ。それにしても人間なんだからたまに譲ることも大切だろう。もっとも野鳥の見すぎで、そこの人たちは野鳥化してしまったのかもしれない。
②そこにアオサギが飛んできた。
④大きさでかなわないホシゴイは泣く泣くその場所をアオサギに明け渡し、自分は下の方のモミジの中に移動した。
⑤その様子を見ていた別のホシゴイが飛んできて加勢しようとしたけど、さすがにアオサギの迫力に負けてしまい、我関せずになってしまった。