ミサゴ熱は少し冷めたようだけど、やっぱり海辺の撮影は楽しい!
東京湾で魚を狙うミサゴを撮りにたくさんの野鳥カメラマンが集まったけど、急に寒くなってからその熱が少し冷めてしまったようだ。海辺の風は冷たくて長い間待ってられない、という年寄りの声もあるけど、ルリビタキをはじめとして可愛い冬鳥が次々にやってきて、そちらに気をとられているというのが理由だと思う。
とはいえ、海辺で真っ青な海を眺めながら、広い広い空の中からミサゴを探すのはとても気分がいい。写真が上手く撮れなくても、この快感だけで重いカメラを背負って出かけた甲斐がある。願わくばミサゴのように高い空を自由に飛び回りたいと思うのだけど、魚を獲らねば生きていけないミサゴに比べて、スーパーで簡単に魚を手に入れられる人間の方が幸せなのか・・・
光る雲に浮かび上がるミサゴ
飛び上がるミサゴ
魚が獲れるのか!?
魚を探すミサゴ
魚を捕まえられたかな?
見事に魚をゲットして
遠くの山の中まで持って帰る
満月の「中秋の名月」次は7年後
オナガは「いただきます」と思ってアオムシを食べる
この時期になるとオナガが群れで裏山にやってくる。若芽の芽吹いた大きな木にとまり、枝から枝に飛びながら若芽めがけて口ばしをのばす。最初は若芽を食べているのかと思ったけど、よく見ると小さなアオムシを食べている。アオムシが若芽を食べ、そのアオムシをオナガが食べる。大切な自然界の食物連鎖だ。
人はご飯を食べるときに「いただきます」と言う。肉でも魚でも野菜でも、あなたの命をいただきますという意味だ。大切なあなたの命を自分の命に代えさせてもらうという感謝の気持ちである。さすがにオナガやアオムシは「いただきます」とは言わないけど、きっと自然の生態に感謝していると思う。
司馬遼太郎の「21世紀に生きる君たちへ」の一節に「・・・自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている・・・」と。また、ネイティブ・アメリカンの名言に「草木は兄弟であり姉妹だ」と。つまり、人間は自然の一部だし決して奢ってはいけないということだ。「いただきます」という言葉のない多くの国の人びとに、このことを理解してもらえればと思う。
小さなアオムシを捕まえた。
大きな幹にとまっていたと思ったら、
急に飛び上がって
これまたアオムシを捕まえた。